久田淳著「少年囚と美術教師」


■■■「少年囚と美術教師」をめぐって
2.脚色者のことば
浅野 正雄
映画監督

 『少年囚と美術教師』を先輩にすすめられて読んだのは、確か昭和三十八年の初夏だったと記憶している。
 日本アルプスを望む松本少年刑務所。その中にある日本でただ一つの、おそらく世界でも唯一の中学校。平均年令が二十才を過ぎた少年囚たちの義務教育。彼らのどす黒く濁った絵、それが明るい絵に変って行くプロセス。美術教師と生徒たちの、人間と人間の心のふれあい、ぶつかりあい――
 特殊な条件でのルポルタージュでありながら、行間にあふれている誰の心をも深くゆさぶる真摯なものに魅せられて、私は一気に読みおえた。
 映画にしよう。そう思い立った私は松本に久田さんを訪ねて、お許しを頂き、早速シナリオに取りかかったのだが……残念ながら種々の事情で映画化の機会に恵まれず、日本映画のサンタンたる低迷ぶりを横目で見つつ、半ば意識的に映画離れしながら、十年以上もひたすら暖め続けて現在に至っている。自分の力不足、努力不足を責めるとともに、生来融通の利かぬ、頑固というより鈍でのんきな自分の生きざまにいささかうんざりしていたところ、この度映画化より早く舞台で実現することになった。暗雲が切れて陽がさし込んだ気分である。

 劇団フジ第三十回公演で、長年の夢が陽の目を見る。気の合う数人で創る同人雑誌でも二、三号で後が続かないのが普通なのに、三十回とは見事である。関係者の意慾と情熱に頭が下ると同時に、第三十回という大きな節目になるに違いない大切な舞台に取り上げて頂いて望外の喜びである。加えて、暖め続けて或る意味では固まり過ぎた私のイメージを若い田村さんの新鮮な解釈と演出で創り上げてもらうのは願ってもないことだ。

 人づくり ―― 暫く前、偏った目的意識で使われたり、色眼鏡で妙に警戒されたりしたばっかりに、今では陳腐な響きすらする言葉なのだが、その実、機械文明に押しまくられ、人間疎外、不信が日増しに深まる現在、誰もが無視し得ない大問題である。しかつめらしい空念仏ではない。毎日の暮しに密着した、いや、暮しそのものと言ってもよい。
 社会が複雑になればなる程、ルールに順応出来ずにドロップアウトする若者は増え、非行化する。しかし、言うまでもなく、彼らを人目につかぬ刑務所にぶち込むだけでは本質的に何一つ解決しはしないのだ。
 舞台は少年刑務所、少年囚と美術教師、更にその関係者という一風変った設定である。だが、観客一人一人の身近かにある幅広く重いテーマ、人間とは、連帯とは、教育とは、幸せとは……生きることへの問いかけを私なりにドラマに盛った積りである。
 口幅ったいことを並べるのはやめよう。幕が降りた後、果して観客の皆さんの内に何が流れ、何が残るか。それがすべてなのだから ――

 出演者は若い人たちばかりである。正直なところ、俳優としては未知数の者が多いだろう。だが、熱気のこもった稽古場の片隅で、田村さんの厳しい駄目出しやそれに応える真剣な眼差しを見守っていると、私の胸はふくらんで来る。ぴーんと張った舞台が創り上げられるに違いない。そして、私の想像を超えた若い豊かな衝撃で、私の内面を激しくかきたててくれるだろう。

 映画創りとはまた別の、舞台の面白さ、難しさを感じる今日この頃である

劇団フジ第30回特別公演 (昭和50年)
『「少年囚と美術教師」より  若き檻の中の野獣』
公演パンフレットから引用